秋に咲く四季桜
もう2年以上前の事。秋に咲く「四季桜」をひと目見ようと愛知県豊田市の「川見四季桜の里」へと向かった。
四季桜は、狂い咲きではない状態で年に2度、花を咲かせる。四季桜の花弁は白色に近い、薄い淡い紅色。例年4月上旬と10月末に咲き、江戸彼岸と豆桜の雑種とされている。特に豊田市の小原地区には歌舞伎、和紙とともに古くから地域に根付いており、例年「小原四季桜祭り」が開催されている。 (2020年はコロナの影響で中止)
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日本人にとって特別な桜
桜の種類
日本には桜属として100種ほどの桜が自生しており、そのうち秋〜冬に咲く桜は十月桜や冬桜を含め6品種存在している。尚、栽培品種は200種以上で、スモモ属を合わせると600種以上といわれる。また、日本の街路樹はイチョウが最も多く、桜は2番目に多い。
花といえば桜
桜は奈良時代には日本に存在していた。当時は仏教を中心に中国文化に強い影響を受けていたこともあり、花といえば唐から輸入した梅を指していた。その後平安時代に国風文化の影響下で桜は観賞用として広まり、花といえば桜という意識が根付いていく。日本人に馴染み深い「お花見」は、「桜見」とは言わない。この言葉そのものが花といえば桜、という日本人の意識を象徴している。
新時代を拓いた梅花の宴
2019年5月1日から元号が「令和」に変わった。その出典が『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文が典拠となっていることはあまりにも有名だ。
『初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす』
「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」
(「令和」を考案したとみられる中西進氏の昭和59年の著書「萬葉集 全訳注 原文付」での訳)
令和の言葉の魅力
これは余談だが「平成」までの247の元号すべてが中国の古典を典拠とされていたが、日本の古典から引用されたのは初めてのことである。新元号発表直後には「令和」は英語で「beautiful harmony」と訳され、手話表現を「つぼみが開いて花が咲くように指先をゆっくりと開く動き」として採用された。後になって新元号の最終候補に残った6案が公表されたが「令和」が何よりも美しく、最も響きが良いと感じた人は多かったことだろう。
日本人の精神を象徴する桜
桜では開花のみならず、散って行く儚さや潔さも愛玩*1 の対象となっている。 古くから桜は、諸行無常*2 といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿ははかない人生を投影する対象である。
また日本では国花が法定されておらず、天皇や皇室の象徴する花は菊であるが、特に明治時代以降は、サクラが多くの公的機関でシンボルとして用いられており「事実上の国花」のような扱いを受けている。旧日本軍(陸軍・海軍)が桜の意匠を徽章*3 などに積極的に使用したほか、明治時代の軍歌・戦時歌謡の歌詞に「桜」「散る」という表現が多用され、太平洋戦争(大東亜戦争)末期には「桜花」や「桜弾機」など特攻兵器の名称にも使われた。
最近ではラグビー日本代表は、エンブレムに桜を用いている。海外では「Cherry Blossoms」「Brave Blossoms」と呼ばれる。
(Wikipedia より一部引用)
四季桜と紅葉が織りなす色彩美
桜と紅葉を同時に鑑賞できる不思議な空間。上の写真は中央の1本の木を境に季節が共存しているかのようだ。
四季桜の花弁の色は白に近い。紅葉の紅がアクセントになって相性が良いのは日本語の色の概念を知ると理解できる。
色彩美の謎
日本語の色は4色しかなかった
光の三原色はR(赤)、G(緑)、B(青)である。色を表現する時には「赤いリンゴ」など形容詞に変換できる。しかし「緑」はどうか。「緑い葉っぱ」とは言わない。(笑) 他方「青」は「青い空」と言うことができる。
他の色の名前でも試してみると、色の名前+「い」を付けられる言葉は実は4つしかない。
それは「赤」「青」「白」「黒」のみ。
いやいや「黄」の場合は「きいろい」と言うじゃん、と思った人。これを漢字で書くと「黄色い」で「色」という別の言葉が入っていることが分かる。「黄いレモン」とは言わないだろう。(笑) 同じように「茶色い」とは言うが「茶い」とは言えない。
この4つの色名には後ろにそのまま「い」を付けても自然に使える。形容詞として使用できることから、日本語で昔から使っていた色は「赤、青、白、黒」の4つだったと推測されている。
4つの色の語源
この4色の色名の形容詞と語源を次に記す。
( 色名 形容詞 語源となった言葉 )
- 赤 → 赤い → 明るい
- 青 → 青い → 淡い (薄いの意味)
- 白 → 白い → 著し (しるし 又はしろし = はっきりしているの意味)
- 黒 → 黒い → 暗い
つまり昔の日本語では、色の識別は「明るさ」と「濃さ」だけで判別されていた。日本史上、文字が使われるまでは特定の色を示す言葉はなかったとされている。
日本語学上特別な4色
ここでさらに話を深堀りしよう。先の4色は副詞にも変換ができる。副詞とは形容詞と同じく、修飾する役割を持つ言葉である。 形容詞は名詞を修飾するのに対して、副詞は形容詞や動詞などを修飾する。
( 色名 形容詞 副詞 +例文 )
- 赤 → 赤い → 赤々と 燃える
- 青 → 青い → 青々と 茂る
- 白 → 白い → 白々と 夜が明ける
- 黒 → 黒い → 黒々と した思い
さらには対になる表現がされるのもこの4色のみである。例を次に記す。
- 「赤」と「白」(紅白、赤白帽子など)
- 「赤」と「青」(赤鬼青鬼、信号機など)
- 「白」と「黒」(囲碁など)
赤と白の組み合わせとして最も代表的なものでは日本国旗の「日の丸」がある。また、物事をはっきりさせるときに「シロクロつける」と言うのも対になる表現のひとつだ。
ここまでくると特別感と説得力が増してくる。この事実を知った時、僕は驚愕した。
紅白の美しい組み合わせ
日本語の色の概念を理解すれば、何故こんなにも四季桜と紅葉の鑑賞が親しまれているのかが分かったはずだ。紅と白の組み合わせは日本人にとって馴染み深いものであり、見る者は美しいと感じる。著者も当初は秋に咲く桜が物珍しいから見てみたい、という短絡的な理由で訪れた。しかし、紅白に染まる眼前の景色が素直に綺麗だと感じられたのは、「日本語の色のマジック」と無関係だとは思えない。此処に足を運ぶには充分な理由になる。
静岡県河津町では冬に咲く「河津桜」が観光名所となっている。例年2月上旬の余寒*4 の時期に花を咲かせる。季節外れの桜を見るのは感慨深いものがある。
日本語の奥深さ
世界でも類を見ないほど表現が多彩な日本語。 ここで色と花にまつわる日本語の奥深さについて話をしよう。
赤と青
例えば「真っ赤な太陽」という表現があるが、実際は赤よりも白く見えないだろうか。元は「明るい」という語源があると考えると何ら不自然ではない。
「青リンゴ」や「青信号」というものも実際は「緑」だ。しかし青は「淡い」という語源がある。これは「淡い」から派生したとされる「若い」という言葉を知ると納得がいく。また青リンゴは熟せば赤くなり、青信号の反対は赤信号である。「赤」に対して「淡い」色ならば、青と言われてもわかってやろうと思う。(笑)
白と黒
「白ける」は「著し」のはっきりさせるという意味から「本当のことを言う」といった意味があった。さらにそれが転じて「素になる」というような意味に派生している。因みに「頭が真っ白になる」というのは「頭が空白になる」という意味で「空白」は「何もない」という意味を持ち、これ以上は分解できない。直接的には色とは無関係な言葉である。
「腹黒い」という言葉もおなかを見ても実際に黒いわけではないが、黒が「暗い」という意味を持つことから、意地が悪い、陰険などのネガティブな意味が伴っている。現代でも「ブラック企業」などでこの考え方が使われている。いつかメディアで話題になった芸能人の「オフホワイト」発言も若干の暗い要素があると自白したものだった。(笑)
因みに僕が好きな色は淡い色。
終焉の美
日本人には昔から「終焉の美」を重んじる精神があり、人や物に対してそれを体現してきた。古墳時代に最盛期を迎えた巨大な墓である「古墳」はそれを象徴する先駆けだ。
そして「花の終焉」にも日本語の表現が多数ある。
- 桜 → 散る
- 梅・萩 → こぼれる
- 紅葉・菊 → 舞う
- 百合・紫陽花 → 萎れる (しおれる)
- 蓮 → 沈む (しずむ)
- 朝顔 → 萎む (しぼむ)
- 椿 → 落ちる
- 雪柳 → 吹雪く (ふぶく)
- 牡丹 → 崩れる
満開の桜は美しいが、散り際も風情を感じる。花の美しさは儚い。
ここではっきり言えるのは、花であれ最期の時まで美しく表現しようとした先人たちの真心と、今日まで受け継がれてきた日本語は花と同様に尊いのだ。