へそで珈琲を沸かす

日本の歴史、伝統、食文化などを紹介する旅行記

【日本】という我が国を考える

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『日出る国の朝』 山梨県本栖湖(2019/4/7)

この時世で自粛が続く中、海外旅行をしたくてもできない。というわけで、日本国内への内向き志向を推進する。

日本の歴史・文化・伝統、、、僕が興味を持って新しい知識を増やしていくほど、日本について何も知らないことを自覚した。

今回は我が国について、”国”天皇”国民性”の3つに焦点を置いて日本人ならば知っておくべきことを綴る。

 

目次

 

”神話”ともに誕生した日本

宇宙が創った神

日本という国は神話から始まる。

僕の友人が以前「日本は仏教の国だ」と言った。半分合っていて厳密に言うと少し違う。日本特有の宗教的理念は神道である。

我が国に現存する最古の文書である『古事記』によると、天地が初めて現れた時、高天原(たかまのはら)*1 に最初の神が成る。

ここでいう神とは、キリスト教でいう神とは全く概念が異なる。『旧約聖書』での神は全能全知で完全な存在、”宇宙を創った神”である。他方『古事記』では”宇宙が創った神”でその違いは歴然である。

よって『古事記』や『日本書紀』に登場する神々は皆、人間的であり時に失敗や過ちを犯す。昼ドラに登場しそうな嫉妬深い神様もいて、ツッコミどころ満載の日本神話は見方を変えれば興味深く、面白い。

また、静岡県静岡市駿河区にある久能山東照宮徳川家康公が祀られていることなどから、人が神に成ることもある。

 

【余談1】アニメから考察

神様はひとりふたり、、とは数えず1柱2柱(ひとばしらふたばしら)、、と数える。

つい最近地上波で放送した新海誠監督の『天気の子』のヒロインは天気の巫女として「人柱になる」というくだりがある。ここでは”神様への生贄”の意で劇中ではその後神化する運命にあるとされる。

また、昨年一世を風靡した『鬼滅の刃』に登場する鬼殺隊最強の隊士を「柱」という。作中の一般隊士は皆「柱」を”神”ように崇拝している。作者曰く「鬼殺隊を支える柱」という意味がある。強い鬼をも凌駕する隊士を「柱」という言葉を引用してまさに人間を神格化した秀逸な表現、というのは考えすぎだろうか。いや考えすぎだね。(笑)

 

皇室へと繋がる神祖

最初の神々は別天神(ことあまつかみ)5柱と神世七代(かみよのななよ)12柱であった。末っ子の伊邪那岐神(いざなきのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)は神々の総意で国を作り固めるように命ぜられる。そして伊邪那岐神から以下の3柱が生まれる。

 

  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ)    :高天原(たかまのはら)を統治
  • 月読命(つくよみのみこと)        :夜之食国(よるのおすくに)*2 を統治
  • 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと):海原(うなはら)*3 を統治

 

伊邪那岐神から天照大御神の系譜で男系の天孫として生まれる邇邇芸命(ににぎのみこと)はなんと、現在の皇室の神祖である。

そして縄文時代より『古事記』の物語の舞台は高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)*4 へと移行していく。

 

天孫降臨

天照大御神高御産巣日神(たかみむすひのかみ)*5 は天孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)に「葦原中国を統治するために天降りなさい」と命ずる。神のお告げを”神勅”という。

高天原と現実世界の繋がりは不明確だが、葦原中国は日本列島を示しており、命令通りに天照大御神の孫が地上に天降ったため天孫降臨という。邇邇芸命が降臨した地は宮崎県の高千穂峰といわれている。

こうして高天原の直轄地となった葦原中国は統治に向かっていく。

 

【余談2】九州地方への偏見

神様が降臨したとされる宮崎県は、日本の統治の原点ともいえる。

一説によると、弥生時代に誕生した日本を代表する地方政権、邪馬壹國(やまいこく)は九州を本拠地としており、水田稲作は九州から始まった。現代日本語のルーツには弥生語や縄文語があるが、これらの言語や古墳、土器などの文化も九州を中心に琉球・関西・関東へ伝播していったとされる。

日本の近代化の為、明治維新を推進した薩摩藩(鹿児島県)・長州藩山口県)は九州から遥々討幕を目指した。

今日では、九州出身の男性のことを九州男児という。逞しさ・勇ましさといったポジティブな印象の反面、短気・自己中心的といったネガティブな印象を持たれることもある。しかし、史実の最前線を歩んできた九州人には、男気溢れる血と精神が現代にも受け継がれているのではないだろうか。

 

”皇室”の始まり

 神から人になった「邇邇芸命

(ここからも神様が登場するが、難しい本名は使わずに親しみやすく綴る)

 

地上に降り立った邇邇芸命がまずしたことは、求婚だった。というのは日本列島を統治する為には、力の強い神様の娘と結婚する必要があったからであり、単に女好きだったからではない。邇邇芸命は山の神の娘に恋し、山の神に「娘さんを私にください」と申し上げた。すると山の神は、「この娘には姉もいるから姉妹揃って嫁がせる」と仰った。現在では考えられないが、遠い昔の結婚観は家と家との結びつきであることからこういった姉妹婚があった。ところが姉はとんでもなく醜い容姿で、初見で驚愕した邇邇芸命は「姉はおブスなので結構です」と断る。山の神、激おこ。山の神曰く、「姉を側に置けば天つ神の御子の命は石のように変わらず永遠にありますようにと、また妹を側に置けば木の花が咲くように永遠に栄えますようにと願いを掛けた。しかし、姉を送り返すのだから今後、天つ神の御子の命は桜の花のように脆く儚いものとなるだろう」と述べた。

 

(とんでも神話終了。)

以降、現在に至るまで天皇命(すめらみこと)の御命(みいのち)は限りあるものとなった。この事件により、邇邇芸命とその子孫である歴代天皇の命に寿命が与えられた。

これが、天皇の先祖が神から人になった瞬間である。

 

神武天皇」の誕生

寿命を与えられながらも山の神を身内にした邇邇芸命は子孫を遺し、海の神を身内にし、そして大和*6 の地で最も力を持った大和の神をも身内にしてしまうのである。

その大和の神の娘と結婚したのが、邇邇芸命の曽孫にあたる神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)である。天孫降臨から4代の時を経て、葦原中国を統治するに相応しい、強い霊力を持ち、正統且つ説得力のある存在になり得た。

このようにして天つ神(天照大御神)と大和の神の血を受け継ぎ、大宇宙と大自然の力を余すところなく存分に受け継いだ神倭伊波礼毘古命が、初代・神武天皇となる。

尚、神武天皇がいつの時代の人物か、という疑問に対しては諸説あり、学界では複雑な論争が今もなお続いている為、個人的な意見は自重しておく。『日本書紀』によると神武天皇即位が紀元前660年であり、これが一般的な認識である。地理学からの推論では遅くとも西暦100年より前であることは指摘されている。

 

万世一系

神武天皇は曽祖父にあたる邇邇芸命、さらに遡って天つ神である天照大御神伊邪那岐神まで「男系」で繋がっている。「男系」とは男子によって受け継がれる系統、父方の血統をいう。

そして神武天皇から今上天皇*7 に至るまで「男系」で繋がっており、これを万世一系という。2700年もの間、血統が受け継がれている皇室は世界中どこを見ても日本にしか存在しない。

 

【余談3】更新不可能!?ギネス世界記録

アフリカの角に位置するエチオピア皇帝家はメネリク1世を始祖として、紀元前1000年から3000年続く世界最古の皇室とされていたが、エチオピア帝国が1974年ハイレ・セラシエ1世廃位により消滅した。この結果、日本の天皇家世界最古の皇室となり、「ギネス世界記録」にも認定されている。

 

天皇”という称号を最初に用いた聖徳太子

時は飛鳥時代小野妹子が第2次遣隋使として隋に派遣された記録が『日本書紀』・『隋書』に遺っている。第33代推古天皇煬帝(ようだい)に宛てた国書の記述を一部抜粋して紹介する。

 

『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々』(読み下し文)

 

朝貢*8 をする代わりに、留学生たちに仏教を学ばせて欲しいというのが日本の要求であった。”ひいずるところ”は日本を指し、”ひぼっするところ”は隋を指す。支那王朝の皇帝のみが使用できる”てんし”という語を敢えて用い、「奉る」とすべきところを”致す”として日本の天子と隋の煬帝が同等であることを示した。しかし、これが隋の煬帝の怒りをかってしまう事になる。

その後の第3次遣隋使の派遣では、「天子」を用いると国交問題に発展する恐れがあった為、どう表現するかが鍵となった。とはいえ「倭国王」を名乗って隋の属国であることを自ら認めてしまうことはできない。そこで推古天皇の摂政として補佐された聖徳太子は次のような国書を宛てた。

 

『東の天皇、敬みて西の皇帝に白す』(読み下し文)

 

"皇帝"とは別の称号を用いることで最低限の配慮をしたと同時に、「朝貢すれども冊封*9 は受けず」という姿勢を示した。外交文書に記録された「天皇」の文字はこれが最初である。

結果的に日本の姿勢に対して、隋はこれを黙認し聖徳太子の奇策は功を奏した。他方、天皇はもともとあった「すめらみこと」の言葉に充てらられた字であるから、天皇称号成立より遥か前には「すめらみこと」とその概念は存在していた。

 

”日本”という国号の始まり

”日本国”の完成

飛鳥時代の日本は一言で言えば、律令国家を目指した時代だった。律令とは、刑法や憲法に基づいて政治を行う国家のことで現在の国々は律令国家といえる。独自の律令を持つことは独立国の証である。

第42代文武天皇治世では大宝元年(701年)に大宝律令を定めた。その一部には詔書*10 の書式を定めた法律があり、詔書には「日本天皇と記すように規定されている。「日本」の国号と天皇の称号がここに法律に明文化された。藤原京で「日本」という国号とともに律令国家として完成し、世界基準で見る独立国家としての歴史はここから始まる。

実はその4年前には新羅に対して「日本」という国号を用いており、その5年後には遣唐使を派遣し、ここで初めて支那に対して日本国号を用いた。

因みに「倭国」とは支那王朝が付けた蔑称で”みにくい”という意味を持つ。

それに対し「日本」とは”日の登る国”という意味で、まさに推古天皇の国書にある「日出づる処」と同じ発想にある。また、天照大御神という太陽の性格を持った神を皇室の先祖に仰ぐ我が国にとって、この上なく相応しい国号である。

 

【余談4】『古事記』と『日本書紀』の裏話

大宝律令が発令される20年前のこと。第40代天武天皇は天武10年(681年)に『古事記』と『日本書紀』(以下『記紀』とする)の編纂*11 を命じた。現在では『古事記』は国内に向け、『日本書紀』は外国に向けてつくられたことが指摘されている。神話も編纂されているが、先述したように神武天皇即位が紀元前660年ということは、科学技術など何もなかった時代に1000年以上前の物語を日本の歴史として書き遺さねばならなかった。これが超ハードな仕事であることを認識してほしい。

当時の編纂者は、事実だけを忠実に書き記す事に信念を持っており、『記紀』では「分からないものは分からないから、取り敢えず事実だけを書いておくから、解釈は後の世の人に委ねる」という潔よくも生々しい心境も併せて遺している。

記紀』の編纂者たちですら分からない事を、現代の考古学者が遂に知り得る日は訪れるのだろうか。

 

古より受け継がれる国民性

戦をせずに建国した日本

ここからは日本の国民性について綴る。神話まで話を戻そう。天孫降臨から日本列島を統治した経緯で、実に日本らしい手法がとられている。

邇邇芸命以下4代は戦をせずに、最高権力者たちを身内にすることで統治を果たした。古代から近世に至るまで世界中の帝国や王国などが建国を果たすときは大抵、戦争で敵を討ち負かし、新しい王朝が誕生した。しかし、日本では古代から「敵将を討ち、屈服させることでは国を統一することはできない」という考えがあり、「最も信頼されている者の味方になることで統率を果たす」のである。力でねじ伏せようとも、反発し統率がとれないことを理解していた。この手法は日本人の性格が表出している点であり、平和的で説得力が伴っている。

現在に至るまで日本国内での戦乱はあったものの、諸外国に対して侵略戦争を仕掛けたことも無ければ奴隷制を導入したこともない。日本人は最初から争いを好まない心優しい民族だった。

 

聖徳太子に学ぶ”一七条の憲法”の先進性 

聖徳太子が制定したとされている、日本初の成文法が「十七条の憲法である。ここにも日本人の国民性を代表する点があり、民主主義の先進性にも感嘆する。「一に曰く・・」から始まる書き出しを第三条まで噛み砕いて解釈すると次のようになる。

 

  • 第一条「皆が仲良くすることが何よりも大事で争い事はよくないから、話し合いで決めましょう」
  • 第二条「仏教を大切にしましょう」
  • 第三条天皇の詔(みことのり)*12 を大切にしましょう」

 

第一条を言い換えると「民主主義」を謳っている。世界中のほとんどの国家が専制独裁国だった時代に1番初めにこれが書かれているのは、類を見ない画期的な憲法であることを証明している。

第二条は「仏教」について謳っている。ここで飛鳥時代平城京の景色を想像してみてほしい。今イメージしたのは奈良の大仏だったり立派な寺院ではないだろうか。如何にも当時の日本国民にとって仏教は何よりも大切な存在だった。五穀豊穣などを祈ることで知られている通りである。しかも太子自らが仏教の普及に尽力したにも関わらず、第一条を優先している。

そして第三条。ここでようやく天皇について謳われている。これが第一条にあっても何ら不思議ではない。天皇が治める国なのだから。それでも「民主主義」=”国民”を最優先に考え、次いで「仏教」=”仏の教え”が大切だと示している。しかも「天皇」を大切にせよ、ではなく天皇の「詔」を大切にせよという点に於いては、個人崇拝を求めるものではないことが推察できる。

 この他にも人として正しい行いをすることの大切さが書かれている。7世紀に創られた憲法「和と話の大切さ」を謳っていることがどれだけ凄いことか。世界の民主主義を1000年先取りした憲法と言っても過言ではない。これは日本の国民性を象徴したものではなかろうか。

 

天皇が知らす国

古事記』では地上の国を統治することを「知らす」と表記している。そもそも「知らす」という言葉は現代では使われていないが、「知る」の丁寧語で「お知りになりなさい」という意味がある。これは天孫降臨の神勅で天照大御神から邇邇芸命に命ぜられている。

つまりその子孫である天皇にとって「国の事情を知ること」こそが、「国を治めること」と同義なのである。「知る」ことが日本の統治の本質なのであって、「支配しなさい」と「お知りになりなさい」とでは全く意味が異なる。では何故「知る」ことが統治に繋がるのか。

それは「知る」ということは「祈る」ことに変わるからである。天皇は祭祀を行う。例えば災害が起きて被災地の事情を知り、国民の悲しみを知ると、とても他人事ではいられなくなる。それが人情というものだ。歴代天皇は国と民を知ることに尽くし、知ることで自らの意思で国の安泰と民の幸せを祈り続けた。国民を我が子のように愛し、幸せを祈ってくださる天皇に対し、国民は本当の親のように慕い、力を合わせて国を支えてきた。それが我が国の国柄である。

天皇の統治とは、国民を知り幸せを祈ることで日本国民が慕い、自ずと国が一つになることだった。そしてそのような天皇の統治が2000年以上続き現在に至る。日本という国を一言で表すなら天皇が知らす国」である。

明治時代、新憲法草案にあたり2000年以上続く我が国をどう簡潔に表現するか困難を極めた。熟考の末、井上毅発案の大日本帝国憲法は次のように表している。

 

「日本帝国ハ万世一系天皇ノ治ラス所ナリ」*13

(現代語訳:日本は天皇のお知りになる国である

「治ラス」は『古事記』の「知ラス」より引用しており、日本という国をたった1行で見事に表現したのは神業といえよう。

 

令和 〜新時代へ〜

令和元年、5月1日。皇居宮殿で新天皇陛下が御即位された。天皇陛下は第126代であらせられる。即位後朝見の儀では、天皇陛下が初めて勅語を賜った。

 

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。

この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研さんに励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。』

宮内庁公式ホームページ)

 

前半は ”歴代天皇への敬意と天皇の在り方” を明確にお示しになった。後半には天皇陛下の大御心の核心たる ”祈り” が拝察される。 

 

令和3年、年頭に公開された天皇皇后両陛下のおことば」を併せて紹介する。

心溢れる内容となっているので是非ご視聴を。

www.kunaicho.go.jp

 コロナ禍で全世界が混乱する中、日本は他国と比べると感染者、死者ともに少なく抑え込めている。理由の一つには、天皇陛下のお祈りの力、そしてその陛下のお姿に真摯に国民が努力したことが影響しているのではないだろうか。

 

おわりに

日本人はあまりにも日本のことを知らなすぎると思う。「日本」という国号の意味、「天皇」とは何か、せめてこれくらいは子供に説明できる大人でいたい。今回は日本の素晴らしさを発信する第1弾として「起源」だけを記事にするつもりが想像以上に長丁場になってしまったことと、真面目に綴るだけになってしまったことは反省したい。しかし文字を綴る最中、天皇への敬意と国柄の誇らしさで胸が熱くなってしまうのは不可避であるし、どうしたらこれを冷静で語られようか。もう少しだけ付き合ってほしい。

 

神話とともに成立し、2000年以上続いた国。世界の国々の歴史を僕は語れないけど、日本ほど素晴らしい歴史を持っている国は他にあるだろうか。

魏志』『倭人伝』には「日本人は争わない、盗みもしない」と記されている。江戸時代以降の欧米人は皆、日本人の誠実さ、善良さ、勤勉さに感嘆した。この時、世界最高水準の教育制度「寺子屋」があった。

大正時代、第1次世界大戦後に発足した国際連盟。その加盟国である強国(米・英・仏・伊)に対し、規約に「人種差別をしない」という文章を入れることを世界で初めて堂々と提起したのは日本人だった。

有色人種が奴隷のように扱われていた時代に、アジア圏の平和を願い、欧米列強に肩を並べて立ち向かい、遂には独立を保った。第2次世界大戦では300万人以上の尊い命が失われ、世界最貧国と言われるほどにまで落ちた。しかし、日本の敗戦から15年以内にアジアの欧米諸国による全ての植民地は独立を果たした。終戦後、外地に残った残留日本兵インドネシアベトナムの独立の為に命を賭した若者もいた。日本人は身を挺して世界の平和に貢献したのである。

先の大戦で全てを失った日本だったが、終戦から僅か23年で百数十の国々を抜いて世界第2位の経済大国へと復興を遂げる(現在第3位) 明治期の奇跡の成長を再び成し遂げたのである。周期的に推測すればこの先10~20年には更なる経済急成長期が訪れるかもしれない。そしてそれを牽引するのは我々の世代に他ならない。

日本はまた災害大国でもあり、数々の災難に見舞われても、どんな時でも皆が力を合わせて支え合ってきた。それが日本という国だ。歴史を知ることは自分のルーツを知ることでもある。そして歴史は過去から現在、現在から未来へと繋がる。明るい未来の世界を見る為に我々はまた歴史を学ぶ。

今の日本が何故こんなにも平和で、安全で、清潔で、豊かであるか。何故こんなにも文化に富み、高い技術を持ち、他国から尊敬されているのか。全ては2000年の歴史を紡いできた先人たちの努力の積み重ねだ。2020年8月、公益財団法人日本交通公社(JTBF)と日本政策投資銀行(DBJ)が訪日外国人意識調査を実施した。それによると「コロナが終息したら旅行したい国・地域」に於いて日本が第1位という結果だった。これは日本人として素直に喜ばしいことだ。

 

我々の祖先が愛に溢れた優しい人たちであったことを誇りに思う。

そして、この国に生まれた幸せをいつまでも噛み締めていたい。

我が国の歴史を知るこの瞬間、僕たちには自尊心と勇気が漲る。

 

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『日本一の山』 山梨県山中湖 三国山 (2021/02/03 追記)

 

大切な時間を割いて通読してくださり、誠に有難う御座いました。

 

(主要参考文献)

日本国紀

日本国紀

  • 作者:百田 尚樹
  • 発売日: 2018/11/12
  • メディア: 単行本
 

 

天皇の国史

天皇の国史

  • 作者:竹田 恒泰
  • 発売日: 2020/08/13
  • メディア: 単行本
 

 

(以下、註釈)

*1:天空世界

*2:夜の世界

*3:

*4:地上世界

*5:別天神の1柱

*6:日本の古称

*7:現在在位中の天皇

*8:外国に対して貢ぎ物を差し出すこと

*9:政治的に従属すること

*10:天皇の命令を伝える公文書

*11:材料を集めて精査し書物をつくること

*12:天皇の命令、勅令ともいう

*13:伊藤博文により「治ラス」を「統治ス」に充てられる