へそで珈琲を沸かす

日本の歴史、伝統、食文化などを紹介する旅行記

【人】が生きる理由とは

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『天を翔』 愛知県名古屋市港区 ガーデンふ頭臨港緑園 (2018/12/15)

目次

はじめに

こんにちは。夢見がちな現実主義者です。

記事は敬語省略します。成る可く遊び心は入れるつもりです。どうぞよろしくお願いします。

 

1人の人間としての働き

文明を築いたホモ・サピエンス

突然だが、個人としてでも人類としてでも、人が生きる理由を考えたことはあるだろうか?

自分の存在意義を示すにはまず、自分自身を知る必要がある。

その原点、何故我々ホモ・サピエンスが、生物学的ヒエラルキーの頂点に君臨し、唯一無二の文明を築くことができたのか。

(話はそこから!?)

ホモ・サピエンスと他の動物とでは何処に違いがあったのだろうか?

特別なチカラ、想像力

圧倒的な違いはやはり、想像力である。

例えば、人間社会には宗教というものがある。目に見えない神様や仏様の存在を認め、崇めることができる。また、一生会うことができない1.2億人以上の日本国民を信じるのも、1枚の紙切れに10,000円の価値を信じるのも、あなたが正しく守っている法律さえも人間の想像力の賜物といえよう。

想像力に長けたホモ・サピエンスは1人のリーダーを立てて統率を図り、作戦を練り、互いの意思行動を読むことでネアンデルタール人より優れた集団戦闘術で生物階層の上位に立てたと推測できる。ってイスラエル歴史学者が言ってた。笑

参考までに。↓

 ところで「古代から生きながらえているイカの寿命があと20年長ければ、人類より先に文明を築いていた」と言う説がある。信憑性は置いといて、詳しい人がいたら聞いてみたい。

賢い人

故に 賢い人=想像力が豊かな人 だと僕は信じている。

相手の気持ちを汲んで言葉を選べる人。仕事で後の手間や工程、お客様のことを考えて仕事をしてる人。そんな人たちは賢い人だと感心してしまう。しかし逆も然り。

"ひき逃げ" などという胸の痛いニュースを度々目にするが、被害者の痛みや気持ちが分からず、社会的立場と家族や仕事への影響も想像できず、ただ逃げるとは愚者と言わざるを得ない。怒

衣食住を賄う

(気を取り直して話を進める)

心と体を働かせて衣食住を手に入れることは1人の人間としての働きである。

世間的には独立した状態で生計を立て、衣食住を整え、生きていくことができれば1人前だと言われる。ただそれができるから立派な人間というのは傲慢である。衣食住が満たされて幸せを感じていてはいけない。

何故ならそれでは生まれた時と死ぬ時の世界が何も進歩しないからだ。

1%の偉大な遺産

1日3食食べていても原材料の99%は自然界の食材である。電気を使用しているのも大元は原子力、火力など自然界の力が99%である。そこに1%の人間の手が加えられ、今の生活が成り立っている。

1%の人間の力によって自然界にある食材を需要に応じて供給でき、またエネルギー変換され電気として使用できる。この1%は先人たちが残した偉大な遺産である。ここに人間の生きる意味を見出すことができる。

では我々はどう生きるか。

 

社会の一員としての働き

人間交流の義務

人間は元々群れる生き物であり、家族や友人を無くして独りでは生きていけない。

先述したように、人間には長けた想像力がある。この神にも似た力を発揮し、広く他人と関わっていき、ますます広げていかなければ個人としての幸福は満たされない。

そもそも、国家も法律も学校も会社も、このブログさえも人間交流の為にあるものである。大体、どんな人であっても世の為人の為になる仕事をしたいと思うのは当たり前で、知らず知らずのうちに自分の後輩やお客様の為になっていることはよくあることだ。

そういった人間の性質があるからこそ、人間交流の義務を果たせるのである。でなければ今もこの世界で文明の恵を受けることはできなかったであろう。

財産と遺産

「財産」とは一般的に土地・物品・金銭などを言い、「遺産」とは、親から相続を受けることを指す。これらは一度失ってしまったら元には戻らない。

しかし、文明は違う。近代日本でいう明治維新や戦後の高度経済成長を支えた先人たちは、知識を財産とし、文明を遺産として素晴らしい世界を遺してくれた。

 

まとめ

ここまで述べてきたように先人たちの遺産がいかに有難いものかを考えれば、衣食住が賄っているからといって満足してはいられない!

世の学者、研究者、開発者などといった人たちはこの文明の最先端に立って職務を全うしている。かといって自分がそこに立つ必要はない。劣等感も要らない。

昨今のコロナウイルスの影響下でも、医療関係者、物流宅配業者、スーパーやコンビニの店員さんなどの多くの人たちのお陰様で今も何一つ不自由ない生活ができている。この方々も充分に世の為人の為に職務を果たしていると言えるだろう。

要するに我々の職務は「先人たちの遺産を継承し、自分の生きた証を遺し、遠く後の世の子々孫々に伝承していくことにある。これは人が生きる理由にもなると思う。重い責任と言える。だからこそ人間交流を広げ、知識を深め文明を進歩させるべきだ。

ここで僕が尊敬している偉人の1人である福沢諭吉の言葉を引用する。 

『 学問の要は「活用』の一点に 尽きます。

  活用なき学問は 無学に等しいのです。』

 

ブログを始めた理由

最後にブログを書き始めた理由を述べる。

この記事で何が言いたいかというと、人は勉強することが偉いのではなく、人の為に活用して初めて意味を持つということ。だからアウトプットはどんな形であれ多いほうが良い。世の中には教養を高める立派な人は多いけど、どうしてそれを人間交流で活用しないのか。

このブログにそこまでの意味を持たせることはできなくても、僕の知見を発信して誰かの心に何かを残すことができるのなら満足だ。

ただ勘違いして欲しくないのは人間は頑張るべきだとか、努力が美しいとか、頑張ってる人が偉いとかそういうことを言っているのではない。生きる理由なんて人それぞれだし、どんな人も生きていいし、生きるべき。だから明日から何かを無理矢理変える必要はない。大切なものを次に繋げていくには「何を変えるか」ではなく「何を変えないか」が大切ではないだろうか。誰もが無意識のうちに他人の人生の大切な歯車になっている。この命題の本質はそこにある。

ただそれさえある人にとっては、尊くも残酷なメッセージになってしまうことも忘れないでいたい。恵まれるだけで、誰かを支え返す、恵み返す場所がないからこそ、消えるように死にたくなってしまう。

 

んー、まとまらなかった。